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2.
晴奈はそっと、客間の戸を薄く開ける。戸の向こう側には、恰幅のいい猫獣人の男が正座している。間違いなく、晴奈の父、黄紫明だった。
「はあ……」
見ただけで、晴奈の心は重苦しく、淀んでいく。後ろにいた柊が、そっと晴奈の肩に手をかける。
「まあ、あなたの気持ちも、分からなくはないけれど……。でも、いずれはこうなること、でしょう?
まさか、一生縁を切ったままなんて、義理と仁徳を重んじる央南人らしからぬ考えを抱いては、いないわよね?」
「う……、まあ、それは」
柊は強い言い方で、しかし穏やかな口調で、晴奈を諭す。
「精神修練の際に最も、気を付けることは?」
「邪念を、払うこと」
「でしょう? 余計なわだかまりを抱えていては、邪念を払うことは無理よ。
ここできっちり、けじめを付けなさい」
「はい……、承知しました」
晴奈は大きく深呼吸し、少し間を置いてから、客間の戸を開けた。柊も念のため、晴奈の後に付いて、客間に入っていった。
晴奈を見た瞬間の、紫明の第一声は、こうだった。
「帰るぞ、晴奈」
当然、晴奈はこう返した。
「断ります」
「なぜだ。もう、1年もこんなむさくるしいところに……、いや、失礼。1年も、家を離れていたのだぞ。そろそろ、家が恋しくなったろう?」
「いいえ」
紫明は最初から、晴奈が言うことを聞く、きっと耐えられなくなっていると、思い込んで話をしている。反面、晴奈は家のことなど忘れ、嬉々として修行に励んでいる。
真逆に考えている二人の話がかみ合うわけが無く、場は途端に険悪になった。
「強がりを言うな、晴奈。女のお前が、このような男ばかりの場で過ごして、辛くないわけが無かろう」
「ここには女もおります。力も技も、そこらの軟弱な男よりずっと強い」
「そんなわけが無いだろう。女が男より、強いわけがあるまい」
「……」
この言葉には、さすがの柊も気分を悪くしたらしい。晴奈は背中で、師匠の不快そうな様子を感じ取った。
「さあ、言い訳などせず、こっちに来るんだ」
「嫌ですッ!」
聞く耳を持たない父に、晴奈は苛立ち、語気を荒くする。自然に紫明も、きつい口調になっていく。
「ダダをこねるな、晴奈ッ! 強がるだけ無駄だ、分かっているんだ私には! さあ、一緒に帰るんだ!」
「嫌だと言ったら、嫌だッ!」
「いい加減にしろ、早く帰る支度をするんだ!」
段々言い方が命令になり始め、晴奈はますます態度を堅くする。
「帰らない! 私は、ここに骨を埋めるッ!」
「私を煩わせるな! もういい、引っ張ってでも……」
紫明が怒り出し、晴奈の手をつかんだ瞬間――。
「嗚呼、嗚呼。いい年をした御仁が、みっともないですぞ」
紫明の手を、どこからか現れた重蔵が取った。
「何だ、この爺は! 離せ、離さんと……」「どうするおつもりかな、黄大人?」
重蔵が尋ねると、途端に紫明の顔色が変わる。どうやら、重蔵の並々ならぬ気配に圧され、恐れをなしたらしい。
「う、ぬ……」「さ、落ち着きなされ」
紫明は言われるがまま、晴奈に向けていた手を引っ込め、座り直した。重蔵は少し離れて座り、ゆったりとした口調で二人の仲裁をする。
「まあ、黄大人のお気持ちも、わしには分かりますわい。手塩にかけて育てた娘御が、こんな『むさくるしい』ところに閉じこもっておったら、確かに気が気では無いでしょうな。
とは言え、娘さんはあなたの所有物では無い。子供が嫌がるものを、無理矢理押し付けるのは、親のわがままでしょう。親なら、子供がやりたいことを応援しなされ」
「し、しかし。その、晴奈だって、ここで1年も暮らせば、耐え切れなく……」
「そこが、わがままと言うものでしょう。黄大人は黄大人であって、晴さん……、娘さんでは無い。娘さんの気持ちは、娘さん本人にしか分からんものです。黄大人の言っていることは、すべてあなた自身の予想、思い込みに過ぎません」
「……」
正論を返され、紫明は何も言い返せなくなる。重蔵は晴奈に振り向き、静かに問いかけた。
「晴さん、どうじゃな? 家に、帰りたいか? それとも、修行を続けたいかな?」
「もちろん、修行を続けたいです」
「うむ、そうじゃろうな。……黄大人、良ければ一度、拝見されてはいかがかな?」
重蔵の言った意味が分からず、紫明はきょとんとした。
「え?」
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