5.
晴奈は簡素な袴姿――いわゆる、剣道着と言うものである――に着替えさせられ、とある堂の中央に座らされた。横には、同じように剣道着姿の柊がいる。
晴奈たちの前に重蔵が立ち、ゆっくりと試験について説明する。
「まあ、やることは至極簡潔なものじゃ。
ただ、座禅をしてもらう、それだけじゃ。3時間、そのままじっとする、たったそれだけじゃ。簡単じゃろ?」
「は、はい……」
晴奈はまだ少し緊張が取れず、恐る恐る答える。そんな晴奈を見て、重蔵はニコニコと笑みを返す。
「はは、そう堅くならんと。
じゃが、油断してはならんぞ。この堂には、鬼が棲んでおるからのう」
「お、……鬼、ですか?」
重蔵の言葉に、晴奈は目を丸くした。
「そう、鬼じゃ。試験の内容とは、ただ一つ。
鬼に惑わされること無く、3時間の間じっと、座禅を組み続けること。
ああ、そうそう。言い忘れておった。雪さん――柊さんも、『私が晴さんを連れてきたのだから、晴さん一人で試験を受けさせるのは不義。同じように受けさせていただきたい』と言うから、そこに座っておる。
じゃが、声をかけてはならんぞ。ただただ座禅、それだけに専念するようにな」
「はい」
晴奈は一瞬、柊の方をチラリと見る。柊はすでに、目をつぶって座禅に入っていた。
「それでは、わしが間を離れてから、もう一度入ってくるまで。
一意専心――ひたすら、座禅を通しなさい」
そう言って重蔵は晴奈たちから離れ、堂の戸を閉める――その直前に振り返り、一言付け加えた。
「おお、そうそう。ちなみにこの場所、『伏鬼心克堂』と言うんじゃ」
伏鬼心克堂に残された晴奈はともかく、座禅を組んでじっとすることにした。
(ふくき、しんこくどう?)
重蔵が残したその言葉を、晴奈は心の中で何度も読み返す。
(鬼が潜んでいるから、伏鬼かな。心克って言うのは、克己心――自己を高める心のことだろうな、きっと。
つまり、鬼に負けないで、精神修養しろってことかな……?)
色々考えているうちに、何の刺激も無いためか――少し、うとうとし始めた。
(ん……。あ、危ない危ない。ちょっと、眠りそうになった。
ダメダメ、ちゃんと座禅しないと。もし重蔵先生に見られていたら、怒られちゃうかも)
慌てて、目を開く。その直後、とす、と言う音が、背後から聞こえた。
(……足音?)
とす、とすと、晴奈の背後で音が響く。思わず振り返りそうになったが、晴奈は心の中で、自分を戒める。
(ダメダメ、座禅、座禅を組まないと!)
その間もずっと、とすとす歩く音が聞こえてくる。ゆったり歩いているらしい、軽い足音である。
(……もしかして、これが『鬼』? 何だか、猫か兎みたいに、軽い足音。もしかしたら、子鬼かな?)
そう思った瞬間、子供の笑う声が、ほんのかすかに聞こえてきた。
(あ、やっぱり子鬼なんだ。……鬼でも、子供は可愛げがあるんだなぁ。
これがもし、大人の鬼だったら、きっと足音なんて、『とすとす』みたいなもんじゃないんだろうな)
晴奈は少し、笑いそうになったが、何とかそれをこらえようとした。
だが、笑いは自然と消えた――笑っていられなくなったのだ。
突然、地面が揺れた。座禅を組んでいた自分の体が――13歳にしてはわりと背が高く、体重もそれ相応にあるはずだが――一瞬、浮かぶほどの揺れだった。
(きゃあっ!? じ、地震!?)
叫びそうになったが、先ほどまで笑いをこらえていたこともあって、何とか漏らさずに済んだ。目をつぶって、無理矢理心を落ち着かせ、冷静に何が起こったか、予想してみる。
(地震じゃ、無い、よね。外、騒いでないみたいだし――もしかしたら、地震くらいじゃ剣士たちって、騒いだりしないのかも、しれないけど――一瞬で止んだ。
もしかして、もしかしたら……、大人の、鬼?)
その想像に、思わず晴奈はぶるっと震える。
(いや、いや……、そんなわけ、無いじゃない! さっきまで、いなかったんだから!
……で、でも。子鬼、は、最初いなかった。どこかから姿を現した、から、いるわけで。とすると、その……、鬼も、入ってきたのかな?)
そう考えた瞬間、また地面が揺れ、体が浮き上がった。ずしん、と言う重く大きな音が、晴奈の猫耳を震わせた。
(ひっ……!)
心の中で叫ぶ。ずっと黙っていたせいか、実際に声を出すまでには至らなかった。晴奈は鬼に怯えながらも、心の中で繰り返し唱える。
(だ、だ、だ、大丈夫、大丈夫だって! もし襲うなら、背後でウロウロしたりなんか、しないじゃない! とっくに襲って来ているはず! だから、きっと、多分、大丈夫な、はず!
も、も、もし、万が一襲ってきても、柊さんが横にいるんだし、きっと守ってくれる! だから、ほら、心を落ち着けて! ちゃんと座禅を、組まないと!)
先ほど揺れた時と同様、無理矢理に心を落ち着かせようとするが、恐怖の広がった心は、恐ろしい想像ばかり浮かばせていく。
(……でも、鬼に人間が勝てるの? いくら柊さんでも、殺されちゃうんじゃ……!?)
自分のあらぬ想像を、晴奈は全力で否定しようとした。
(そ、そんなわけ無い! 無いの! だって、ほら、横には、ちゃんと……)
そこで晴奈は目を開けて、横目で柊の姿を確認し、自分を安心させようとした。
だが、その光景に今度こそ、叫びそうになった。
柊が、血を流して倒れている。座禅を組んだまま、横になっている。だが、向けられた背中に、いかにも鬼が持っていそうな棍棒が、無残に食い込んでいる。そこからドクドクと血が吹き出しており、絶命していると直感した。
(い、……嫌あああぁぁぁッ!)
恐怖で凍りつき、叫んだつもりののどからは、悲鳴は漏れなかった。先ほどからずっと黙ったままの晴奈は、のどを押さえて震えだす。
(あ、あああ、柊さん、柊さん……!?)
恐怖が頂点に達し、晴奈は現状を呪い始めた。
(何で、何でこんなことに……! ああ、私が、試験を受けるなんて言ったから、柊さんが死んじゃったんだ!
私の、私のせいだ! 私が、ここに入ったから、柊さんも、一緒に入って、だから、死んで……。
……え?)
恐怖による混乱の渦中にある晴奈はここで、ある矛盾に気が付いた。