円山公園、雨宿り、本
「でな、店出る時に、おばさんの方を、振り返ったら……」
藤森先輩がまた、あの話をしている。祭りの夜に道に迷って、狐に化かされたという話だ。先輩は酔う度にこの話をする……うぜぇ、もう聞き飽きたっての。
「狐になってたんでしょ、そのおばちゃんが」
「……オチ言うなよ。それに、『狐になってた』んじゃない。狐の耳と、尻尾が『生えてた』んだ」
「だから狐になったんでしょ? 先輩、飲みすぎですよ」
先輩が俺をにらんでくる。ああもう、短気だなあ。
「だから違うんだって……ああ、もういいや。ま、そーゆー話があった、ってことだ」
「へぇ~」
新入生の桃山ちゃんが、オレンジジュースを抱えながら――未成年だからソフトドリンクである――相槌を打った。とても興味深そうに先輩の話を聞いていた彼女は突然、変なことを聞いてきた。
「あの……藤森、さんでしたっけ」
「ん? なに?」
「その……狐耳のおばさんって……どこで会いました?」
おいおい……先輩の与太話、真に受けてるのかよ? 部に入った時から、この子は「不思議ちゃん」だと思ってたけど……。
「うーん……それが、さっぱりなんだよな。四条烏丸の辺りなのは間違いないと思うんだけど、詳しい場所がさっぱり。細道を闇雲に走っちゃったからな……」
「四条烏丸、ですか。うーん……でも、橋は渡った覚えないなぁ」
桃山ちゃんの言葉に、飲んでいた部のメンバーは一斉に首をかしげた。先輩がきょとんとした顔で聞き返した。
「どういう意味?」
「あ、いえ、あの……実は……あたし、その人に借りてる物があるんです」
何を言い出すんだよ、不思議ちゃん。オレンジジュース、もしかしてアルコール入ってたのか?
「あたし、小さい頃京都にいたんです。でも、すぐ引っ越しちゃって。大学に入ってからまた、こっちに越してきたんですけど……」
それでですね、その、小さい頃に。家族でお花見行ったんです。その……なんだっけ、東山の、大きい桜の……あ、それです、円山公園ってところ。でも人が多くて、あたしすぐに、迷子になっちゃったんですよ。泣きながらお父さんたちを探してたんですけど、どうやっても見つからなくって。周りは知らない人ばっかりだし、お酒臭いし、ゴミ散らかってるし。すっごく嫌な気分で、ずーっと泣いてたんです。そうして歩き回ってたら、急に雨が降ってきちゃって。もう泣いてるんだか、雨で濡れてるんだか分かんないくらい、びしょ濡れになっちゃったんです。
そしたら、頭の上にさっと、傘を差されたんです。見上げてみると、そこに桜色の着物を着たおばさんがいたんです。
「嬢ちゃん、お父さんとお母さんはどうしはったん?」
「あ、えと、なんか、いーひんの」
「あら……迷子さんか。どないしよかな……」
おばさんはきょろきょろと辺りを見回してたんですが、雨降ってたんで、周りには誰もいなかったんですよ。
「あー……どないしよかなー……うーん、とりあえず雨やむまで、ウチで雨宿りしときなさい。そんなびしょ濡れでうろついてたら、風邪引いてしまいますしな」
おばさんはあたしの手を引いて、公園から出て、それから……うーん、それからが分かんないんですよ。小さい頃だから……って言うのもあるんですけど、この辺り、なんか覚えてないんですよね。
覚えてないって言うか……どうしても、覚えられなかったっていうか。
一緒に歩いてる間に、自己紹介してたんですよ。
「嬢ちゃん、お名前は?」
「ひめこ。ももやまひめこです」
「あら、可愛いお名前やね。うちは環。深草環って言います」
「たまきさん?」
「そう。よろしくね、姫子ちゃん」
おばちゃん……深草さんはコロコロ笑いながら、色んなこと話してくれました。
半分遊びでお店やってることとか、最近作った狐の人形が可愛い出来で嬉しかったこととか、知り合いの神主さんが変わった人だとか、色んなことお話してくれました。
……その、藤森さんが言ってた、狐の耳と尻尾のことも。
「ああ、そうそう。面白いもん、見せたげよか」
「おもしろいこと?」
「ビックリするで……まあ、それはお店に着いてから見せたげますわ」
「さ、着いたで」
「ここが、たまきさんのおみせ?」
「そうそう。ええやろ」
「うん。なんかおもろそう」
「それでな、面白いもんやけど……ちょっとこっち、見てみ」
そう言われてあたし、素直に深草さんの方に振り向きました。そしたら、藤森さんが言ってたとおりの……狐耳と、尻尾が深草さんに生えてました。
「ひ」
あたし、ものすごく怖くなって逃げようとしたんです。でも入り口じゃなく、店の奥に逃げようとして、すぐ深草さんに捕まりました。
「あ、ちょ、ちょっと! ……そ、そないに怯えんでもええよ、何もせえへんさかい、な?」
「う、うん」
最初は怖かったんですけど、深草さんはいい人だって、お話してもらってた時に分かってたんで、すぐに慣れちゃって。尻尾なでてました。……はい、本物でした。本物の、動物っぽい耳と尻尾でした。……はい、フサフサで気持ちよかったです。
「姫子ちゃん……そろそろ、離れてもろてもええかな? おばちゃん、お仕事せなあかんから」
「えー……もうちょっと、さわりたい」
「うーん……ゴメンなぁ。手が空くまで、この本読んで待っとってくれへんかな?」
その時、深草さんに絵本渡してもらったんです。絵本って言っても、結構分厚くて……あたし、しばらくそのお店で読んでたはずなんですが、どれだけ読んでも全然終わらなくて。でも面白くって、ずーっと読みふけってました。
「あ、雨あがったみたいやね。そろそろ公園に戻ろか、姫子ちゃん」
「いやや、まだよんでるし……」
「でも、お父さんら心配しはりますよ。はよ戻らへんと……」
「うー……でも、まだ……」
ごねるあたしに深草さん、折れてくれて。
「うーん……それやったら、貸しとこか、その本?」
「ええの?」
「ええよ、ええよ。読み終わったら、ちゃんと返しに来てな」
「はーい! おおきに、たまきさん!」
「はい、はい。それじゃ、行きましょか」
「……で、深草さんにまた、円山公園まで連れて行ってもらって。公園に着いてすぐ、お父さんたちに会えたんですが、深草さんはいつの間にか、いなくなっちゃってて。結局、その本まだ、家に置いたままなんです。
そのお店、どこにあるのかさっぱり分からなくって……」
俺たちは唖然としていた。いくらなんでも、酔っ払ってるだろ、これは。いやむしろ、素面でこんなこと言ってたら引く。というかもうすでに引いている。
「……円山公園の、近くだとしたら……確かに、橋は渡らないな。でも、狐耳のおばさん……深草さんだっけ。その人の話は、俺の体験したこととほぼ一緒だな」
藤森先輩だけが、桃山ちゃんの話に食いついている。桃山ちゃんは先輩の顔をじっと見つめ、手を合わせてお願いした。
「藤森さん……もし、良かったらなんですが。深草さんのお店、探すの手伝ってもらえませんか?」
「………………うん、いいよ。俺も、もう一度その店に行きたいんだ。喜んで協力するよ」
先輩と桃山ちゃんを除く俺たち部員とOB数名は完璧に興ざめし、2人を残して店を出た。
いくらなんでも、有り得ないぜ。正気を疑う。
円山公園、雨宿り、本 終