5.
目を覚ました晴奈は辺りを見回した。明奈はいない。どうやら自分より早く起きて、自分の部屋に戻って行ったらしい。
(あの夢は一体……?)
ぼんやりとしながら、着替えを始める。と、衣装棚にあった水色の着物が目に入る。
(水色の着物、か。まあ、夢だろうが)
あまり信じてはいなかったが、どうしても気になったので、晴奈はそれを着た。
素早く着替え、部屋を出る。出たところで丁度、隣にある明奈の部屋の戸も開く。
「ああ明奈、おは……」「あ、お姉さま。おは……」
挨拶しかけて、二人は絶句した。二人の目には互いが着ている、水色の着物が映っていた。
朝食の後、晴奈と明奈――晴明姉妹は父、紫明に呼ばれた。
「どうされたのですか、父上?」
「うむ、実は……」
紫明は浮かない顔で、懐から一通の手紙を取り出した。
「今朝早く、文が投げ込まれたのだ。どうやら黒炎教団からのものらしい」
「黄海及び黄商会の宗主、黄紫明殿へ
昨日、我らが同志、メイナ・コウの身柄引き渡しを願い出ようとしたところ、そちらの友軍である焔流一派に妨害され、多数の被害者を出した。
その責を問うため、3日後にふたたび身柄確保に乗り出す所存である。万が一、焔流の者がその席にいた場合、我々は実力を以って、そちらに用件を受諾していただくように対処するであろう。
無論我々は、円満な話し合いによって交渉がまとまることを望んでいる。そちらでも、央南西部の平和と黄商会の利益の観点を鑑み、十分に検討していただくよう、考慮されたし。
黒炎教団 央南方面布教活動統括委員長 大司教 ワルラス・ウィルソン2世」
「これは……」
手紙を読んだ晴奈は思わず、手紙を破り捨てそうになった。だが何とかこらえて、父の話を聞く。
「ああ、字面では穏やかな話し合いを望んでいるとのことだが、十中八九、明奈を強奪するつもりなのだろう」
「『願い出ようとした』だの、『被害者を出した』だの……、嘘もいいところだ!」
憤慨する晴奈に対し、紫明は浮かない顔をしている。
「私としては、その……」
「父上?」
言いにくそうにする父を見て、明奈は父の胸中を察する。
「前回同様、わたしの身柄でこの街と商会の平和が保たれるならば、交渉に応じようと、そうお答えするつもりでしょう?」
「あ、いや、その……」
明奈は落ち着き払った、堂々とした態度で応対する。
「昔とは違って、わたしも大きくなりました。自分の身の振りは、自分で決めさせてください」
「いや、しかし……」
一方、紫明は言葉を濁し、明奈の言葉にうなずこうとしない。そんな父の態度を見て、晴奈は歯噛みする。
(なぜだ父上、どうして一言『分かった』と言わない?
……ああ、この人はいまだ昔と変わらぬのか。娘は自分の所有物だと言う、その考えがまだ抜けていないのか)
そう悟り、晴奈の怒りはますます燃え上がる。たまらず声を上げようとした、その時。明奈が先に、姉の心中を代弁した。
「昔ならば、わたしはお父さまの言う通りに従ったでしょう。
しかし、わたしも大人になりました。この先お父さまの考えに従い、そのまま教団に渡ったならば、一体どうなると思います?」
「どう、って」
「恐らく教主のご子息が無理矢理に、わたしを娶ろうとされるでしょう」
この一言に、紫明は「う……」と声を漏らす。
「もしそれが実現すれば、きっと黄家は絶えてしまいます。教団にすべてをむしりとられて」
「……」
明奈はなお、毅然とした態度で父を説得する。
「ねえ、お父さま。重ねて申し上げますが、昔とは違うのです。
今なら剣を極めたお姉さまがいらっしゃいます。エルスさんたちも、協力してくださるでしょう。戦う力は、十分にあるのです。
今、相手の要求をはねつけなければ、10年後、20年後の黄海と央南西部はきっと、黒く染まってしまいます。わたしは嫌ですよ、黒海などと言う地名になってしまっては。
敵の言いなりになって1年、2年の安息を得るより、今こそ決別、打倒して10年、20年、いえ、100年の繁栄を勝ち取る方が、懸命な判断です」
「……そうだな」
明奈の説得に紫明はようやくうなずき、もう一通懐から手紙を出した。
「これは?」
「お前の言う通りかもしれないな、明奈。教主の息子から、こんな手紙が来ていたのだ」
紫明は晴奈に手紙を渡し、読むよう促した。読み始めた晴奈は、途中で――今度はこらえる気など毛頭無く――手紙を破り捨てた。
「……下衆が!」
「お姉さま?」
「まったくウィルバーめ、どこまで色狂いか! 明奈と自分は、前世から夫婦になる定めだとか、明奈の自分に対する気持ちは分かっている、自分は全力を以ってそれに応えるだとか、滅茶苦茶なことを書いているんだ!」
「何ですって……!」
冷静だった明奈も、この時ばかりは流石に嫌そうな顔をした。紫明は一瞬、顔を伏せてため息をつき、そして決意に満ちた目を二人に見せた。
「明奈、お前の話で、私の目は覚めたよ。……断固、黒炎と戦おう」
紫明の決意も固まったため、晴奈たちはエルスに助太刀を願い出ようと、彼の住んでいる屋敷へと向かっていた。
「ねえ、お姉さま」
「ん?」
「水色の着物、エルスさんへの用事。これって」
「……やっぱり明奈も、あの夢を?」
明奈はコクリと、小さくうなずく。
「ええ、白猫さんの夢よね。もし、あの方の言ったことが本当なら」
「5万の軍勢が攻めてくる、か。ぞっとしないな」
「きっと本当でしょうね。
彼女の言葉はとても風変わりだったけれど、内容はとても真面目でした。わたしたちの身を案じてくれる気持ちは、真実だと思います」
「ああ、私もそう、……彼女?」
晴奈は頭の中で白猫の姿を思い返す。
(言われてみれば、確かに女とも取れる顔立ちと声をしていたが……)
「いや、しかし白猫殿は、自分のことを『ボク』と、呼んでいたような。男では無いのか?」
「え、そう……、だったかしら。……どっちでしょうね?」
二人は夢の内容を思い返し、やがてクスクスと笑い始めた。
「くく、考えれば考えるほど、分からない」「そうね、クスクス」
この後、エルスは晴奈たちの願いを聞き入れ、協力することを快諾してくれた。また、白猫の助言に従って、彼を対黒炎部隊のリーダーに据え、晴奈がその副官となった。
そしてこれより――黒炎との戦いが、始まる。
蒼天剣・悪夢録 終