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1.
双月暦512年、暮れ。
央南中部ではある「化物」のうわさが広まっていた。姿は白い大狐で人語を解し、魔術を操り、人里離れた人家や旅人を狙うと言うのだ。
「へぇ」
柊が手紙を読み終わり、驚いたような声を漏らした。
「晴奈、良太。ちょっとこれ、見てみて」
「はい、何でしょうか?」
ともに精神修練の一環、写本をしていた晴奈たちは師匠の差し出す手紙を手に取り、読んでみた。
「……え? 狐の妖怪、ですか?」
「冒頭からまた、胡散臭い話ですね」
晴奈も良太も、けげんな顔で柊に応えた。
「あの、良く読んでみるとこれ、先生のご友人からの手紙ですよね。助けて欲しい、と書かれているのですが……」
良太の質問に、柊は少し困ったような顔でうなずいた。
「そうなの。何でも、彼がいる街でも、被害が出たらしくって。彼が率いている自警団で、その妖怪を捕まえよう、って言うことになったらしいの。
それで腕の立つ人が欲しいから、来てくれないかって言うんだけど」
「はあ……」
話を聞いた晴奈は写本に戻りながら、率直な意見を述べた。
「胡散臭いにも、ほどがありますね」
「そうですか?」
意外そうな顔をした良太を見て、晴奈は少し呆れる。
「そう思わないか? 確かに、困ったことが起きたから手を貸してくれ、と言うこと自体は特に不審でもない。が、妖怪などと言うのがどうも、疑わしいのだ」
「妖怪が、疑わしい?」
今度は柊が尋ねる。
「私はこれまで一度も、そんなものを見たことは無いので」
「でもほら、黒炎教団の、神様とか。300年生きてるって言うし」
良太の意見も、晴奈はにべも無く否定する。
「だからそんなもの、私は見たこと無い。知り合いが見たとは言っているが、私自身が確かめたわけでは無いしな」
「うーん……」
晴奈の言い分を聞いて、柊は腕を組む。少し間を置いた後、ゆっくりとした口調で、晴奈と良太に説明し始めた。
「えーと、ね。晴奈、誤解してると思うんだけど、……いるのよ、実際」
「え?」
「神話の時代から、数多の化物がそこら中に存在したと言われているわ。天帝教の英雄たちが竜や巨大な狼に襲われ、討伐したと言うおとぎ話を初めとして、その手の話は枚挙に暇が無い。
でも文明が進むにつれて、そう言った話は少なくなっていった。これは人間の住む地域が、そう言った化物の棲む地域に入り込んだせい。その場所にいた化物は討伐、淘汰されて、とっくの昔に消滅しているわ」
「まあ、それはまだ、うなずけます。しかしその話を前提にしたとしても、すでにそんなものはこの世からいなくなったのですよね?」
晴奈の反論に、柊はわずかに首を振った。
「いえ、まだ世界全域に人間の手が入ったわけじゃないもの。この央南に限っても、屏風山脈は峠道から外れれば異世界も同然だし、あちこちの森や近海にも、人間が入り込めない場所はたくさんあるわ。
だから、まだ駆逐されていない化物、妖怪は――確実に、いるのよ。そう見えないのは、そんなところに踏み行ったことが無いからよ。これまでの旅も、なるべく安全なところを選んだわけだし」
「そんなもの、ですか」
まだ、晴奈は腑に落ちなさそうな顔をしている。それを見た柊はすっと立ち上がった。
「じゃ、証拠を見せてあげる」
「証拠?」
柊はいきなり、上着を脱ぎ始めた。良太が素っ頓狂な声を出し、飛び上がる。
「え、ちょっ、先生!?」
「ちゃんと下は着てるから。……ほら」
上着を脱ぎ、肌着をへその上までめくった柊を見て、晴奈たちは絶句した。
「……!」「その、傷は」
「刀傷には見えないでしょ?」
どう見ても、大型獣の爪痕――それが腰から鳩尾の下にかけて、柊の右半身に付いていた。
「昔、友人と旅をしてた時に付けられたんだけどね。あの屏風山脈を越える時に、うっかり峠道から外れてしまって。で、襲われたの。
わたしは大ケガを負うし、魔術師だった友人も杖を折られちゃうし。助けが無かったら、死んでたところだったわ」
「……」
良太は食い入るように、柊の傷痕に見入っている。晴奈は恐る恐る、尋ねてみた。
「その、化物とは」「あら、聞きたいの?」
柊は服を着ながら、珍しく恐ろしげな笑みを浮かべ、尋ね返した。
「……い、いえ」
その笑い方があまりにも怖かったので、晴奈は口をつぐんだ。
ちなみに良太は柊を見つめたまま、放心していた。よほど柊の姿が強烈だったらしい。
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