2.
バン、と力任せな音を立てて、その男は入ってきた。
「よう、ヒイラギ。今度こそ、俺の方が強いと証明しに来たぜ。さあ、勝負だ!」
「はいはい」
柊は本当に面倒くさそうな様子で立ち上がり、その熊獣人に向き直った。
「これで4度目よ? もういい加減、観念したらどうなの?」
「フン。言っとくがな、これまでの3回は理由があって負けたんだ。最初は油断してたからだし、2度目のは体調が悪かったんだ。3度目のも武器の調子が悪かった。今度は元気一杯、武器も新調したし、お前みたいなガリガリ女に負けるわけねー」
(……本当に言い訳がましい。本当にあの『熊』、強いのか?)
晴奈は内心、この男の態度に呆れていた。それを察知したのか、「熊」は晴奈の方を向いた。
「何だ、このガキ?」
「ガキとは失礼ね。わたしの一番弟子よ」
柊がたしなめると、「熊」は馬鹿にしたように横柄な態度を取る。
「あっそ。ま、カスみたいなもんか」
その言い草に晴奈は激怒しかけたが、より早く、激しく怒り出したのは柊の方だった。
「クラウン、わたしの悪口ならいくらでも言って構わないわ。でもね」
一瞬のうちに柊は、「熊」――クラウンの首に刃を当てていた。
「わたしの弟子を侮辱するなら、命も覚悟しなさいよ。もしもう一度、侮辱するようなことがあったら、容赦なく斬るわよ」
「……ヘッ」
クラウンは刃をつかみ、くい、と横に流した。
「んなことどーでもいいから、やろうぜ、勝負」
謝るどころか、うざったそうに答えるクラウンを見て、晴奈は心の中で叫んだ。
(師匠ッ! 絶対、勝って下さい! 私もこの『熊』、捨て置けません……ッ)
傍目に観ても、柊がかなり頭に来ていることは明らかだった。武具を装備している間中、ずっと無言だったし、斜に構えて笑っているクラウンに何度も、侮蔑と怒りの混じった視線を向けていたからだ。
余談だが、クラウンは「ん? 俺の顔に何か付いてるか?」と返しており、柊の怒りに気が付いていた様子は、微塵も無かった。
準備が整い、柊とクラウンの勝負が始まった。当初からクラウンは、手にしている鉈をブンブンと振り回して柊を追う。剛力で知られる「熊」のせいか、何太刀かに一度、柊の武具をかすめ、その度に柊は少し、弾かれているように見える。
「楽勝だな」
「そうかしら」
ニヤニヤと笑い、勝ち誇って鉈を振るうクラウンに対し、柊はただ、睨みつけるだけで刀を抜こうともしない。柄に手をかけたまま、飛び回ってばかりいるのだ。
(師匠、何をされているのですか!? 反撃してください……ッ!)
二人の戦いを見守っている晴奈は、何もしない師匠の姿に恐ろしさと、焦りを感じている。
「ふーむ」
いつの間にか、晴奈の横には重蔵が立っている。
「ははあ……。雪さん、一撃必殺を、狙っておるのじゃな」
「一撃、必殺……、ですか?」
晴奈はけげんな表情を重蔵に向けた。
一撃必殺、と言えば聞こえはいいが、これは実際狙ってみると、非常に難しいのだ。
まず、敵を一撃で倒すような攻撃、威力となると、よほど強力な打撃を与えなければならない。自然、攻撃の動作は大がかりなものとなり、隙も大きくなる。さらに、敵に対しては察知されやすく――分かりやすく言えば、「見え見え」となり――その結果、避けられやすい。
強力な攻撃手段の確保、隙の抑制、敵に悟らせないための配慮――この3点を揃えなければ、一撃必殺の成功は無い。
(なる、ほど……。確かに今、敵は油断している。師匠も十二分に、配慮しているだろう。後は――打撃、か。一体、いつ、どう出る? どう、出すのだ?)
晴奈は固唾を呑み、柊の一挙手一投足を見守る。晴奈の内心を察したのか、重蔵が解説を入れる。
「ほれ、あの『熊』さん……」
重蔵がそっと、晴奈に耳打ちする。
「動作が一々、大仰じゃと思わんか?」
「あ……」
言われて見れば、クラウンの動作はどれも、大味に見える。鉈を大きく払い、振り下ろすその動きは、傍から見ていればとても分かりやすい。言い換えれば、避けやすい攻撃なのだ。
「それと、雪さんの動き。相手を引っ張りまわしておるな」
「ふむ……」
ただ退いているようにしか見えなかった柊の動きも、敵の動作と合わせて考えれば、すべて空振りさせるための戦術なのだと分かる。
「ああして、相手が疲労するのを待って……」
「……そこで、必殺を?」
「きっと、その算段を整えておるのじゃろうな」
程なくして、クラウンの動きが目に見えて鈍ってきた。元々鈍重と言われる「熊」だからか、バタバタと動き回っていた彼は、とても苦しそうに、肩で息をしている。
「ハッ、ハッ、俺を、ハッ、おちょ、ハッ、おちょくってんのか、ハッ」
「……」
何も答えないまま、柊はそこでようやく、刀を抜いたようだ。……ようだ、と言うのは、晴奈にはその動作が確認できなかったからだ。
ともかく、一瞬のうちに決着が付いた。
柊がいつの間にか抜いていた刀はクラウンの鉈を弾き飛ばし、彼の首筋に当てられていた。
「見事な居合い抜きじゃったな、雪さん」
勝負を終え、汗を拭っていた柊の元に、重蔵がニコニコしながらやってきて、そう言った。
「いえ、まだまだです」
「謙遜せずとも良い。まさに、一撃必殺――胸のすくような、ほれぼれする技じゃった」
重蔵にほめちぎられた柊は、顔を少し赤くして、頭を下げた。
「恐縮です……、ふふっ」
師匠をほめられ、晴奈も嬉しくなる。
「お疲れ様でした、師匠」
「ありがと、晴奈」
晴奈に向けられたその顔は、いつも通りの穏やかな笑顔だった。
一方。
「いや、だからな、今日はやっぱり俺、ほんのちょっと体調が悪かったんだよ。それにな、この鉈まだ新品だからな、まだしっくり、手になじんでなかったんだって。それでも善戦した方なんだって、そーゆーマイナス要素があったにも関わらず、……あ、それにほら、ここは敵の本拠地だろ? 『負けろ』みたいな空気をさー、俺感じちゃって。そう、空気が悪い、それなんだよ。それが敗因なんだって。じゃなきゃ、俺があんな女に……」
クラウンは自分の付き人たちに向かって、愚痴じみた言い訳をブツブツとこぼしていた。