3.
翌日、正午過ぎ。
「なんか今日、肌寒いわね」
リストが両手を組み、寒そうな様子で部屋に入ってきた。
「コートかなんか、無い?」
「外套か? そこにある、私の羽織で良ければ」
一人で碁を詰めていた晴奈が壁にかけてある、藍色の羽織を指差す。
「ちょっと借りるね。……おー、あったかーい」
「それは良かった。しかし、リストたちは北方の生まれだろう? 寒さには強いと思っていたが」
「あー、確かに寒いけど、防寒具が充実してるから。今頃だととっくに、冬の対策が済んでるくらいだもの。それにアタシ、ちょこっと冷え性で」
「ほう」
晴奈は立ち上がり、リストの手を握ってみる。
「む……、氷のようだ。そこで座っていてくれ。火をもらってくる」
「ありがと、セイナ」
晴奈は一旦部屋を離れ、少しして火のついた炭を何本か持って戻ってきた。
「そこの火鉢を、部屋の中央に置いてくれ」
「コレ? よいしょ……、っと」
晴奈はリストが引っ張ってきた火鉢に炭をくべる。少しして、火鉢に置いてあった炭にも火が移り、部屋はじんわりと暖まってきた。
「はー……、あったかぁい。もーホント、今日寒いのよね」
「エルスの言では、今日か明日くらいに雨が降ると言っていた」
晴奈の言葉に、リストは露骨に嫌そうな顔をする。
「えぇ? この寒いのに雨? 勘弁してよぉ、風邪引いちゃうじゃない」
「私に言われてもなぁ」
「それに雨だと、今持ってる銃弾がしけっちゃうかも」
「エルスもそれは危惧していたな。そこで攻め込まれたら、かなり厳しくなる」
火鉢にかじりつくように暖を取っていたリストが、晴奈に首を向ける。
「……エルスエルスって、アンタ気にし過ぎじゃない、エルスのコト?」
「そうか?」
きょとんとする晴奈を見て、リストはぷい、と首を戻す。
「……アタシが気にし過ぎかな。気にしないで、セイナ」
「ああ、そうする。……リスト、ところで一つ聞くが」
「何?」
「エルスのことを、どう思っているのだ?」
聞いた途端、リストの肩がビクッと震える。
「は、はぁ? いきなり何変なコト聞くのよ? あ、あんないっつも笑ってるようなヤツ、気になんかしたコトないわよ、ふんっ」
「(どう見ても、随分気にかけているようにしか見えないのだが)……そうか。おかしなことを聞いてすまなかった。……菓子でも持って来ようか?」
「そ、そうね。もらおっかな、うん」
二人は一瞬見つめ合い、気まずそうに笑った。
「ほら、雨が降りそうですよ」
「そうですね」
窓の外を嬉々として見つめている天原に対し、ウィルバーはむすっとした顔で茶菓子をむさぼっている。
(ったく、何でこんな学者崩れの相手なんかしなきゃなんねーんだ)
「……まずっ」
茶を飲んだ天原が、大げさに顔をゆがめる。
「何ですか、この苦さは。下水じゃないですか、まるで」
「失礼ですがアマハラ卿、茶はその苦味と言いますか、渋味を楽しむものですよ」
茶を淹れたウィルバーの従者が、おずおずと返答する。すると天原はバン、と茶器を机に叩きつけて反論する。
「何を馬鹿げたことを! お茶と言うのはもっとこう、甘いものでしょう!?」
「は……?」
従者とウィルバーが顔を見合わせ、目配せする。
(おい、コイツ何言ってるんだ? 茶が甘い? こんなもんだろ、茶の味って)
(はい、間違いなく。恐らく、いつも飲まれているものは、砂糖を入れておられるのではないかと)
(……ガキか、コイツは)
「じゃあ、砂糖でもお持ちしましょうか」
呆れた口調で提案したウィルバーに対し、天原はさらに怒りをあらわにした。
「砂糖、入ってなかったんですか!? 茶って言うのは入ってるもんでしょ、砂糖! まったく、こんな一般常識も無いなんて、教主のご子息が聞いて呆れますね!」
天原の罵倒にウィルバーのこめかみが跳ねるが、拳を堅く握って何とかこらえる。
(キレんな、俺……。今コイツをボコっても、後で叔父貴に締め上げられるだけだ。こんなくだらねーコトで怒って、何になる)
ウィルバーは平静を装って、従者に砂糖を持ってくるよう指示した。
「……ふう。まあ、いいです。気にしませんよ、僕は心が広いですから。
ところで、ウィルバー僧兵長。一つ、面白い話をしてあげましょうか」
「……何です?」
「1年前、黒鳥宮に北方の諜報員が侵入したことがありましたよね」
「ええ、そう聞いています」
「実はですね、現在央南連合軍を直接指揮しているのはなんと、その諜報員らしいのです」
「へえ?」
思いもよらない話に、怒り気味だったウィルバーも興味を引かれる。
「さらにですね、黄海防衛にもその諜報員が絡んでいたとか」
「何でスパイ風情がそんなコトを……?」
「何でも、その諜報員の教育に当たったのがあの『知多星』、ナイジェル博士なんだそうで」
聞きなれない単語に、ウィルバーは首をかしげる。
「『知多星』?」
「北方のジーン王国ではですね、武勲を挙げた者には『武星』、優れた研究実績を挙げた者には『知星』の称号が贈られるんですよ。
で、ナイジェル博士はその『知星』勲章をなんと、8個も持っているんだそうです」
「『知星』が8個で、『知多星』ですか。アタマ良さそうですね」
「ええ、彼の半世紀以上に渡る王国軍への参与で、その軍事力は3倍以上になったとも言われています。そんな智者が直々に指導した男ですから、戦略家としても相当な腕前を持っているでしょう」
「なるほど。……しかし、そうなると今回の作戦、ちょっともろ過ぎないですか? そんなアタマ良さそうなヤツ相手だと、破られるんじゃないですか?」
ウィルバーの指摘を受け、天原は嬉しそうにニタニタと笑い出した。
「そこなんですよ、僧兵長! そこが、今回の作戦の狙いなんです!」
「どう言う意味です?」
「言ったでしょう、今回の指揮官は元諜報員だと! その前歴が、彼の目を狂わせるのです!」
「諜報員の、前歴が……?」
天原の言わんとすることがまったく分からず、ウィルバーは詳しく尋ねようとする。
「それは、どう言う……」「お待たせしました、アマハラ卿。砂糖をお持ちいたしました」
ところがそこで、従者の邪魔が入ってしまう。
「ああ、ご苦労様です。
……そうですね、詳しい説明はこの、苦々しいお茶を飲んでからにしましょうか」
天原は砂糖の入った小瓶をつかみ、茶器の中にザラザラと投入していった。